[瑞星庵]高橋圭也 公式サイト  
 
 
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高橋圭也による各種講義のご案内

◆受講可能な占術

天上聖母媽祖命運道術
・六壬(式占、神課、金口訣。選択は自由)
・奇門遁甲
・干支九星学
・九星呪術
・数秘、数霊術
・四柱推命(中国式・日本式。選択は自由)
・天源淘宮術
・風水(八宅、玄空飛星、玄空大卦、玄空六法。各派の技術の選択は自由)
その他、上記以外の受講希望の各種占術

※受講を希望する占術をお知らせください。

【個人教授】
全10回、1回1時間半程度(講義場所・講義開始時間等については、応相談。またリモート・オンラインでの講義も可能)。
会場…東京都内
(詳しい時間・場所等に関しては、入会手続き完了後に瑞星庵事務局よりお知らせいたします。なお、リモート・オンラインでの講義の場合は、会場等の考慮は不要)
費用…入会金 \ 10,000 講義料…1回分 \ 20,000

◆申し込み方法
入会のご案内より「瑞星庵」への入会手続き完了後、問い合わせフォームよりお問い合わせ下さい。なお、詳細につきましては入会手続き完了後に瑞星庵事務局よりお知らせいたします。

◆問い合わせフォーム
http://keiyatakahashi.com/contact.html

◆「天上聖母媽祖命運道術」の占いと祈祷法や呪術について
 天上聖母媽祖命運道術は、生年月日時からカペラやプレアデス、カリスト、ケイロン、アルタイル、ヴェガ、アルデバラン、シリウス、アンタレス、デネブ、サウスコロナ等の78種類の星を出して運命その他を占う占術と(媽祖は星々を統べる女神だから)、また道術は健康法としての導引気功法、さらに凶運の星を良化する星祭り祈祷や日常生活の様々な雑事等に対応する一般的な呪術も含みます(生前の媽祖は道教の秘術を操った術者だったから)。

お願い…天上聖母媽祖命運道術は当瑞星庵に入会してから5年以上を経過した会員を対象に講義を行います。また術の内容が多岐にわたるなどの性質上、55歳以上の方の受講申し込みはご遠慮願います。

○天上聖母媽祖とは
 後に天上聖母媽祖と呼ばれた女性は、宋の建隆元年(960)陰暦三月二十三日に現代中国の福建省甫田県の林一族の娘として生れた。
 彼女は生れた後の1ヶ月間泣かなかったため「黙娘」と名付けられた。8歳の時に学問の先生に付き、非常に聡明であったそうで、同時に深く仏に帰依し、朝夕経文を読み、13歳の時に道士・元通より道教秘術「玄微秘法」を授かる。また16歳の時に他の女の子たちと遊んでいる時に井戸をのぞき込んで水鏡にした際、井戸より現れた神人から銅符一双を受けて、それ以来、神通自在を得て、家にいながら魂を遠く四方にまで飛ばし、様々な神異・奇跡を現し、邪気や邪霊を祓い、多くの人々を救った。18歳の時から巫女として活動して多くの人々の未来を予言し始め、さらに23歳の時、千里眼と順風耳の二匹の魔物が村を襲ったために呪法で二魔を呪縛して使役神にした(千里眼は千里の外を見、順風耳は千里の外を聞き、黙娘{後の媽祖}に告げた)。

 そして、28歳の時、家族の別れを告げて村の沖の湄州島に行き、その山の頂から白日昇天した。

 彼女の白日昇天後、黙娘、改め媽祖が様々な不思議や霊験を現したので、甫田県の人々は彼女を祀る祠を建て、長く信仰した。その後、この媽祖への信仰が各地に広がり、現在は中国の南方地方を中心に広く信仰され、様々な願いをかなえる人気抜群の万能の女神・天上聖母媽祖となった(媽祖は他に天后や天妃、娘媽{のうま}、亜媽{あま}とも呼ばれる)。

〇水運・海上安全の神から万能の女神へ。
 天上聖母媽祖を調べると「水運、海上安全の神」とされるが、昔は流行病は港から広がることが多かったので次第に多くの病気を治す神となり、台湾等では聖母の名からキリスト教のマリアと同一視して安産・子育ての神としての信仰もある。
 また天上聖母媽祖の功徳や道術、霊符などを載せる経典が数種類あるが、それらには上記の他に様々な技芸・芸道の神、商売繁盛・金運の神、勝負運を強くする神、軍隊の守護神などという記述もあって、今は台湾やそれ以外の地域、東南アジアでは媽祖を様々な願いをかなえて多くの人々を救う万能の女神としている(台湾島内の各地には数百の媽祖廟がある)。
 なお、日本で戦後媽祖信仰を紹介した日本天后会で天上聖母算命学と運命開運術などを指導した西川満先生は媽祖を全天の星々を統べ人々の運命の吉凶禍福を司り、不運な星の影響を去り、様々な願いをかなえる星の神、万能の女神とした。

〇日本と媽祖の関係
 媽祖はキリスト教のマリアや仏教の観音と習合し、また神道の天照大神や弟橘姫命とも習合して(例・江戸時代までの天妃神社の御祭神は媽祖が多い)、明治時代の神仏分離令以前まで日本各地の寺や神社で祀られており、昔の日本人にとって馴染みのある神だった。
 さらに元々が水運・海上交通安全の神なので、日本でも船の守護神の船玉神として漁船に媽祖を祀る漁師たちも非常に多かったそうだが、媽祖が外来の神だから、やはり明治時代の神仏分離令で漁船内から排除された。